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東京高等裁判所 平成3年(ネ)326号 判決 1993年5月31日

主文

一  原判決中控訴人敗訴の部分を取り消す。

二  右部分につき、被控訴人の請求を棄却する。

三  訴訟費用は第一・二審とも被控訴人の負担とする。

理由

一  請求原因1の事実、控訴人の主張1及び2の事実並びに次の事実は、当事者間に争いがない。

1  警視庁第七機動隊第二中隊所属の機動隊員らは、本件デモに対する規制に当たつていたこと。

2  昭和五六年五月二二日午後九時過ぎころ、本件デモが本件現場にさしかかつたこと、及び本件デモに参加していた被控訴人が本件現場の路上に転倒したこと。

3  その後、本件デモは、正常な徒歩行進となり、八重洲交差点を経て常磐橋公園に到達したこと。

二1  右の争いのない事実並びに<証拠略>によれば、次の事実が認められる。

(一)  昭和五六年五月二二日午後七時五〇分ころ、本件デモの参加者ら約五〇〇名は、清水谷公園における集会を終え、デモ行進を開始したが、その際、許可条件に従い二個梯団(第一梯団三〇〇名、第二梯団約二〇〇名)に分かれ、それぞれの梯団の先頭には宣伝車を配置していた。なお、参加者らは、ヘルメットを着用していなかつた。

(二)  被控訴人は、同日午後六時三〇分ころ、清水谷公園に行つて集会に参加し、その後、右デモ行進に加わつたが、自らはデモの隊列には加わらないでデモ隊列の横を歩き、デモの整理や二つの梯団の間の連絡の役割に当たつており、出発時から暫くの間は、第一梯団と行動をともにしていた。

(三)  警視庁は、本件デモに対し、第七機動隊副隊長八木沢利三警視の指揮のもとに、同隊第二中隊(谷田部中隊長以下五〇名)を配置したが、同中隊は、三個小隊に分かれ、更に各小隊には三個分隊があつて、山口哲史巡査は、第三小隊に所属していた。機動隊員らは、全員が警棒を所持し、両手に防護手袋(以下「本件篭手」という。)及び一般に市販されている綿製の軍手を装着していた。

(四)  第二梯団は、三列ないし四列縦隊で行進していたが、午後八時ころ、赤坂見附交差点にさしかかると、先頭・中間・後尾の三つのグループに分かれ、それぞれのグループが蛇行行進を行つた。このため、八木沢副隊長は、谷田部中隊長に許可条件違反の行動を規制するように命じ、同中隊長は、第二梯団の右三つのグループに対し、先頭のグループから第三小隊、第一小隊、第二小隊の順に各小隊を割り当て、各小隊の小隊長に対し、デモ隊の車道中央側に沿つて機動隊員を配置してデモ隊を歩道方向に規制し、蛇行行進などをできなくするように整理することを命じ、特に第二梯団の先頭グループを担当した第三小隊の石樵小隊長に対しては、先頭誘導(許可条件を遵守させるため、デモ隊の先頭にいるデモ隊員を歩道方向に誘導するとともに、デモ行進の速度を調整すること)を命じた。この命令を受けた石樵小隊長は、部下の永吉分隊長ほか四名の機動隊員(山口巡査を含む。以下「先頭誘導員」という。)を先頭誘導の任務に当たらせた。そして、永吉分隊長ほか四名の先頭誘導員は、宣伝車とデモ隊の先頭グループとの間に入つてデモ行進を規制した。その規制の方法は、先頭誘導員がデモ隊の進路前方に横一列に並び、右足を前方に出して左足を大きく引いて体重を左足にかけ、両手をデモ隊先頭部の者の胸、腰などに当ててその進行を制止するものであり、規制を解除する場合は、先頭誘導員がデモ隊先頭部の者の胸、腰に当てていた両手で相手の身体を押しながら自分の身体を起こして飛び退き、車道中央寄りに退くというものであつた。なお、規制の過程で、機動隊員らとデモ隊員との間で押し合いや小競り合いが生じたこともあつた。

(五)  その後、本件デモは、溜池、虎の門、新橋駅前、数寄屋橋、鍛冶橋の各交差点を経由して順次進行したが、その間、右と同様の経過で機動隊とデモ隊の間で押し合い等があつた。被控訴人は、その間、赤坂見附交差点等で第二梯団のデモ状況を見に来たが、数寄屋橋交差点までは、主として第一梯団と行動をともにしていた。被控訴人は、機動隊員らによる規制は、宣伝カーとデモ隊先頭部との間に機動隊員(先頭誘導員)が入り込み、両者の間隔を離している点で不当であり、また、一部機動隊員らによる前記規制行為は過剰警備であると考え、時々、デモ隊列の横から機動隊員に対し、「やめろ。」などと抗議していた。

(六)  機動隊員らは、鍛冶橋交差点付近でも、前記(四)と同様の態様で本件デモを規制していたが、午後九時過ぎころ、本件デモは本件現場付近にさしかかつた。その際、二〇ないし三〇メートル前方にある車両用の信号機が赤色を示し、歩行者が同所の横断歩道を横断中であつたことなどから、石樵小隊長は、デモ隊の先頭部にいる者に対し、数回にわたり、「信号が赤だから止まれ。」と警告したが、デモ隊がこれを無視して、相互に腕を組み腰を低くした状態で前進を続けたため、石樵小隊長は、永吉分隊長に先頭誘導員に対してデモ隊の進行を停止させるように命じた(以下「一回目の規制」という。)。

(七)  この時、先頭誘導員は、車道中央線寄りをデモ隊と平行に縦一列に並んでその先頭部より数メートル先行して警戒に当たつていたが、右分隊長の命令により、デモ隊を停止させるため駆け足でデモ隊先頭部の前面に移動して横一列に並び、デモ隊と正対する姿勢をとつた。しかし、デモ隊は、前進を止めないばかりか、かえつて、前かがみになりながらデモ隊員相互の間隔を詰めて身体を密着させ合い、後ろの者が前の者の腰付近に手をかけて、そのまま先頭誘導員めがけて突き当たつて来た。

(八)  このため、先頭誘導員は、腰を低くしてデモ隊先頭部の者の胸や腰付近に手や肩を当ててデモ隊の進行を阻止しようとしたが、デモ隊の圧力により徐々に後退を余儀なくされたものの、一旦はデモ隊を止めることができた。しかし、デモ隊先頭部の者は、背後から「なぜ止めるんだ。」「車よりデモ行進が優先するんだ。」「機動隊はどけ。」などと怒鳴りながら前進を続ける後方デモ隊員に押され、前方は先頭誘導員によつて押さえられ前進を阻まれたので、その圧力により、身体は伸び切り、いわば身体が競り上がるような状態になつた。

(九)  このような状態のとき、信号が青色に変わつたので、石樵小隊長は、デモ隊の進行の規制を解除するため、永吉分隊長に「開け。」と命じ、同分隊長は、これを制止していた先頭誘導員に対して、背中を叩きながら「開け。」という命令を出した。このころ、デモ隊の進行方向左側から、被控訴人が「なぜ止めるんだ。」などと大声で怒鳴りながら、デモ隊先頭部の者の前面に飛び出して来た。折しも、右小隊長の命令によりデモ隊の先頭部を支えていた先頭誘導員があたかも扇を開くように車道中央線寄りに開いたため、デモ隊員は喚声をあげながら勢いよく前進し始めた。

(一〇)  石樵小隊長は、デモ隊がそのまま駆け足行進に移るのではないか、その場合には転倒者がでるなど危険な事態が発生するかも知れないと判断して、中央線方向に開きつつあつた先頭誘導員に対して、再び「止めろ。」と命令した。その命令を受けた先頭誘導員らは、反転して再びデモ隊の先頭部前面に出て、デモ隊に押されながらもその進行を阻止した。

(一一)  そのころ、被控訴人は、右上口唇裂傷(以下「本件裂傷」という。)、軽微な左下口唇挫傷及び左肘部挫傷の傷害(以下、これらの傷害全体を「本件傷害」という。)を負い、本件現場の路上に転倒しているところを発見され、直ちに東京大学医学部附属病院に運ばれ、同病院形成外科永田悟医師により左上口唇部を筋縫合も含めて約四〇針縫合するなどの治療を受けた。

2  なお付言するに、<1> <証拠略>によれば、デモ隊の規制に当たつては、予め先頭誘導員の配置順番を決めておくところ、山口巡査は、縦一列に並んで誘導するときには先頭から三番目に、横一列になつて規制するときにはデモ隊に正対して右(歩道に近い方)から二番目に位置することになつていた。<2> <証拠略>によれば、本件現場付近のデモ隊の状況を撮影した写真である乙第三号証のNO.2及び3には、デモ隊の進路前方の信号から一一メートル余手前にある停止線及び地下道入口の支柱が写つており、また、山口巡査が一番歩道寄りでデモ隊に対している状況が写つていることが認められる。<3> 原審証人永吉忠雄、同石樵博道及び差戻前の当審証人谷田部直之は、日枝神社前では、前方の信号が赤色であつたため、横断歩道の四、五メートル手前で規制に入つたが、デモ隊に押されたため、横断歩道を通り過ぎて交差点に入るくらいのところでようやく止めることができた旨、日枝神社前では規制が遅れたとの反省から、本件現場においては、信号の手前二〇ないし三〇メートル(停止線の手前一〇ないし二〇メートル)の地点から一回目の規制に入つた旨、及び乙第三号証は第二回目の規制の際のものである旨を述べており、右の各供述に格別不自然な点はない。<4> 原審証人山口哲史及び同石樵博道は、本件現場において、一回目の規制をしてデモ隊を止めた後、信号が青色に変わつたので規制を解いて所定の位置に戻ろうとしたところ、デモ隊が駆け足デモに移ろうとしたので、再度規制に入つた旨を述べており、これによれば、前記の写真において、山口巡査が予め決められていた位置とは異なる位置でデモ隊を規制していることの説明が可能となるのである。

ところで、原審証人山本和志は、本件現場で規制を受けたのは、被控訴人が殴られた後に一回だけで、機動隊員に規制されて被控訴人のところまでデモ隊が行くことはできない状態であつた旨、及び本件現場の横断歩道近くの信号の手前二〇ないし三〇メートルの地点において、機動隊がデモ行進を規制した事実はない旨供述している。しかし、前記写真NO.2には、停止線付近で機動隊員とデモ隊員がもみ合つている状況とともに、デモ隊の先頭部よりも後方に位置する歩道上の多くの者が後方を見つめている状況が写つているところ、前後の状況からして、右の者らが見つめている対象は、負傷した被控訴人であると推認されるのである。そうすると、原審証人山本和志の述べる右の状況は、右写真の状況とは異なるものといわなければならず、その信用性に多大の疑問を抱かざるを得ない。

以上の事情を総合すると、前認定に反する原審証人山本和志及び原審における被控訴人本人の各供述は採用することができず、被控訴人が控訴人の主張するような態様で転倒した可能性を否定することはできないというべきである。

三  ところで、被控訴人は、山口巡査からいきなり左口唇部を右手拳で一回殴打されて後方に飛ばされ、左肘から路上に落ち、仰向けに転倒して本件傷害を負つた旨主張し、被控訴人本人は、原審及び差戻前の当審において、顔面を殴られたので、そのまま頭が後ろにのけぞり、身体が水平になつて後ろにふつ飛ぶような形になり、左肘の部分からコンクリートの上に落ちた旨供述し、原審証人山本和志も、被控訴人は、殴られて身体が宙に浮き上がり、仰向けに後ろの方に飛んで、その場に倒れ込んだ旨供述しているので、右各供述の信用性について検討する。

1  右各供述によれば、本件裂傷は、転倒の際路面等に顔面が当たつて生じたものではなく、山口巡査と目される機動隊員の右手拳による一回の殴打によつて生じたものということになるので、まず、本件裂傷が右のような暴行によつて生ずることが可能か否かについて検討する。

(一)  <証拠略>によれば、<1> 本件裂傷は、上口唇中央部より一センチメートル位左方の赤唇部から左斜め上方の白唇部にかけて三センチメートル位の長さで形成され、上部先端が僅かにVの字型に分かれ、全体としてYの字型をなしていたこと、<2> その大部分は皮膚面から口腔内粘膜まで完全に切断されていて、架橋状組織の存在は認められなかつたが、その傷口は、鋭利な刃物で切断したようなものではなく、縁がギザギザになつていたこと、<3> 切断部を縫合した場合には、幅一ないし二ミリメートル程度が挫滅していたことになるが、他に皮膚面及び口腔粘膜面には挫傷、出血、浮腫等の顕著な異常はなかつたことが認められ(る)。<証拠判断略>

(二)  <証拠略>によれば、<1> 本件篭手は、前膊部から手背部を覆うものであるところ、重量が一二八〇グラムで、その表面が難燃性ビニールレザーからなり、前膊部の内側には補強板としてバネ鋼材六枚を、手背板の外側内部には成型加工したポリカーボネード樹脂を、手背板の内側には緩衝帯として天然ゴムの硬質スポンジをそれぞれ使用しており、前膊部のベルト二本及び前膊部と手背板の接合部のベルト一本の合計三本で腕に固定し、手背板先端のゴム輪に中指を通して装着するようになつていたこと、<2> 本件篭手を装着して手拳を作つた場合には、手背板の先端部と手拳の先端部とがほぼ同位置になることが認められ、右認定に反する証拠はない。

(三)  そして、<証拠略>によれば、次のように認定判断することができる。

(1) 本件篭手を着用した上、手拳で上口唇部を殴打した場合には、本件篭手の手背部の先端部が当たることが考えられるが、その先端部の形状から左上口唇部分のみに本件裂傷が形成されるとは考え難いばかりでなく、同時に手拳部も口唇部付近の相当広い範囲に強く作用することが避けられないので、手背部の先端部が本件裂傷を形成しただけで、その付近に手拳部による傷害が形成されないことは考えられないところ、本件傷害中には右傷害に相当するとみられるものがない。

(2) また、手拳部自体が上口唇部に当たつたとすると、その作用面積は相当広いので力が拡散される上、軍手が緩衝作用をするので、口唇部が皮膚面から口腔内粘膜まで完全に切断されること自体が考え難いのみならず、裂傷箇所の周辺にも圧挫作用が加わるので、周辺部にも表皮剥離、皮下出血、粘膜挫傷等の傷害が生じてしかるべきであると考えられるのに、被控訴人にはこれに相当するものはみられない。

(3) 右(1)及び(2)に述べたところによれば、本件裂傷が機動隊員の手拳による殴打によつて生じたものとすると、客観的な状況と矛盾するというべきである。むしろ、本件裂傷は、作用面積が極めて小さい、稜のある(すなわち角のある)硬い表面を持つ鈍体(例えば、ガードレール接合部のボルトの留め金や縁石の損傷部分等)によつて形成されたものとみるのが自然である。

2  次に、被害状況との関係について検討するに、<証拠略>によれば、被控訴人は、体重が六六キログラムで平均的身長を有する男子であることが認められるところ、このような被控訴人を原審証人山本和志及び被控訴人本人が供述するような前記の態様で路上に転倒させるためには、下方から上方に向かいある程度広い面積にかなり強い外力を加える必要があると考えられる(右各供述には誇張があり、被控訴人の足が浮いた程度であるものとしても、同じである。)。しかし、被控訴人の顔面の損傷は、軽微な左下口唇挫傷を除けば、本件裂傷だけであり、これは作用面積の極めて小さい鈍体によつて形成されたものと考えるのが自然であることは、前記のとおりであるから、このような物体による外力によつて、被控訴人の身体を前記供述のような状態にさせることができたものとは、到底考えられない。また、仮に被控訴人が右のような状態で路上に左肘から落ちたものとしたならば、被控訴人の負つた傷害が、口唇部のほかは、左肘部挫傷だけであるというのも不自然である。

3  更に、被控訴人本人は、原審及び差戻前の当審において、山口巡査がデモ隊に対してひどい乱暴をしていたので、デモ隊の第二梯団が本件現場に差し掛かつた際、乱暴行為はやめていたが、歩道上から車道に降りて、デモ隊の先頭部の前を歩いていた同巡査に対し、「デモ隊と宣伝カーは連なつて一つのデモである。機動隊はデモの中に入れないはずだ。出て行つてくれ。」と二回くらい抗議をしたところ、同巡査は「生意気言うな。」と言うなり、自分の方を振り向いていきなり右手拳で顔面を一回殴りつけた旨供述し、原審証人山本和志及び同福富祥史もこれに沿う供述をしている。

しかしながら、<1> それまで機動隊員に個人的な抗議をするようなことをしていなかつた被控訴人が、解散地点が間近になつた本件現場において、突如歩道上から車道に降りて抗議を始めたこと、<2> デモ隊と先行する宣伝カーとの間に機動隊は入るなと抗議をするのに、相手として機動隊の指揮官ではなく一隊員にすぎない山口巡査を選んでいること、<3> 被控訴人本人は、同巡査がそれまでにひどい乱暴をしていたからであるというが、全証拠によつても、同巡査が他の機動隊員に比べて格別際立つた行動をしていたとの具体的な事実は認められない上、仮に右のような理由から同巡査に抗議をするのであれば、その内容は「乱暴をやめるように。」との趣旨のものであるはずであるのに、被控訴人のした抗議内容は、前記のとおり、「機動隊はデモ隊と宣伝カーの間に入るな。」というものであつて、抗議の理由と内容が符合していないこと、<4> 被控訴人が殴られて大怪我をしたのを目撃したというのに、<証拠略>によれば、デモ隊員はあいつが殴つたということを皆で言つていたが、山口巡査のところに駆け寄つて行つて抗議をした者は一人もいなかつたことなど、重要な点において不自然な点が認められる。

以上1ないし3に述べたところを総合すると、前記の各供述はたやすく措信し難いものというべきであり、これによつて山口巡査と覚しき機動隊員が被控訴人を殴打したとの事実を認めることができず、他に右の事実を認めるに足りる証拠はない。

四  以上のとおりであるから、被控訴人の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないので、これを棄却すべきであり、これと異なる原判決中控訴人敗訴の部分は、相当でないから取り消すこととする。

よつて、民事訴訟方三八六条、九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 岡田 潤 裁判官 瀬戸正義 裁判官 清水研一)

《当事者》

控訴人 東京都

右代表者知事 鈴木俊一

右指定代理人 和久井孝太郎 <ほか四名>

被控訴人 岡田 理

右訴訟代理人弁護士 内山成樹 同 酒向 徹

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